鈴鹿8耐(1)
今年も鈴鹿8耐の季節がやってきました。今年は一段と暑そうです。
観客も大変な暑さとの戦いでしょう。真夏の祭典といわれるのもわかります。
毎年この時期になると、2001年の8耐参戦を思い出します。
チャンスがあれば必ず8耐にでると心に決めていた私は2001年、意を決して参戦を決意し、
期限いっぱいでエントリーしました。テレビでガチンコ8耐番組をやっていて世間の注目もアップしていました。
またその前年転んだロッシが最後の参戦をすると関係者からきいた私は、絶対エントリーせんといかんと思ってしまいました。
(ちょっとミーハーな考えだったかもしれませんが)
出るからには、なんとか予選をクリアして決勝に! そのことで頭がいっぱいでした。
ところが、鈴鹿の走行経験のない私は不安との戦いを強いられることとなり、なんとか可能な限り練習時間を取らなければと必死でした。
結果的に予選までに約3時間くらいの練習しかできませんでした。しかも、1992年以来
サーキット活動を封印していた私が、1999年にワンツーのレースから活動を開始して初となる転倒まで喫してしまいました。
デグナーのつっこみでいきなりのスコールに見舞われ、一瞬の内にはるか遠くへとんでいました。そのときの記憶はとんでいました。
鈴鹿は俺を嫌っているとまで思いました。しかしあきらめきれない自分もいて、公式予選の最中もコース攻略を考えていました。
カワサキの柳川選手や、大西ヒートの大西選手にもアドバイスを受け、試行錯誤していました。
いよいよ、予選です。2回のセッションで決まるルールです。