サウスチャレンジ第1戦(2)

2009.04.12 00:31 BLOG, NEWS

開幕を制することができましたことは、ご報告済みですが、その経緯について書かせていただきます。
時間がない中、開幕の日は迫ってきておりました。ほぼノーマルの状態での走行を余儀なくされておりましたが、ギリギリでバックステップがヨシムラジャパンから届き、深夜作業で取り付けを終え、ブレーキを強化するため、私はステンメッシュのブレーキホースを作り、その後睡眠なしでシンゴ選手は練習走行に、という次第で、ドタバタな感じでした。
しかし、タイムは600CCクラスでマークしたタイムの3秒落ちでした。
残るチャンスは、レース前日の走行のみです。ライダーのコメントを聞き、私は対策を講じました。
それは、ライディングの変化と現状でのサスペンションのセッティングです。エンジンについては、ノーセッティングと決めました。
一度にたくさんのことはできないからです。シンゴ選手はそのオーダーに答え、前日の練習で1秒以内にタイムを詰めてくれました。
そして、レース当日。
予選は順調に進み、ポールポジションを獲得しました。
それは大変うれしいことなのですが、問題は決勝です。
チームクルーの作業も終わり、その時を待ちました。
私はスタートのクラッチミートのコツを説明し、注意点を確認し、送り出しました。
そのかいあってか、スタートはみごとに決まり、ホールショットを決めました。
その後、先頭を守っていましたが、終盤に黄旗がでて、そのクリアの隙に、2番手の選手にかわされてしまいました。
私は、逆にその状況を望んでいました。先頭を走るプレッシャーのせいか、2番手の選手を離せずにいましたので、そのほうがスイッチが入って良いのでは、と思っていたからです。
案の定、その2ラップ後に最終コーナーで見事にインを差し、トップに返り咲きました。その時レース中のベストラップをマークしました。
その後ペースを上げたシンゴ選手に2番手の選手はついていけず、シンゴ選手の優勝が決まりました。
ガッツポーズでチェッカーをうけ、めちゃくちゃに喜んでいるのが見て取れました。チーム全員で掴んだ勝利でした。
表彰式で並べられたマシンを見てほぼノーマルのマシンでよく勝てたなと思われた方も多かったのでは。
結構ギリギリだったとおもいます。
ノーマルのブレーキが焼けていたのが印象的でした。ちなみにブレーキパッドは、定価5500の普通のやつでした。ただしかなり減っておりましたが。
皆さんのおかげで勝つことができましたが、第2戦はオートポリスです。高速サーキットでは簡単には勝てません。
今持てる限りの武器で勝負を賭けていきたいと思います。
応援よろしくお願いいたします。有難うございました。

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サウスチャレンジカップ選手権第1戦 

2009.03.30 17:51 BLOG, INFORMATION, NEWS

3月29日、HSR九州の開幕戦、ついに眞悟選手がポールTOウィンを飾りました。
皆様の熱い応援のおかげです。大変有難うございました。
レース内容等については、後ほどアップいたいます。
とり急ぎご連絡とお礼まで。

佐世保レーシングレプリカヘルメット

2009.02.23 22:16 BLOG, NEWS

アライから新型のRR5が昨年発売されたので、佐世保レーシングオリジナルをまたしても作ってしまいました。今回同じものを3個作ったのですが、一つは私用で、一つはチーム員用、残る一つは今年レース参戦する、眞悟選手用です。このデザインは1991年の全日本用に作ってからずっとこれでサーキットを走っています。当初は蛍光カラーでした。いまはキャンディーカラーです。8耐もこれでした。だいぶストックが増えました。
今年、このヘルメットを被ったシンゴ選手の応援よろしくお願いします。このデザインが全日本の決勝を走るのが楽しみです。ちなみにこの新型は開口部が広く、視界が広いみたいです。

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鈴鹿8耐(5)

2009.02.12 23:11 BLOG, NEWS

ピットで待てども待てども、ペアライダーは戻ってきません。クラッシュによってリタイヤが告げられるチームのアナウンスを聞きながら、ペアライダーを案じていたとき、マシンを押しながらピットに帰ってくるライダーが1人、なんと我がチームのペアライダーです。ぼろぼろになったマシンを必死に押してきています。チームクルーの面々がマシンを受け取ると、ライダーはピット内に疲れてなだれ込みました。私は駆け寄り、声をかけ、体の無事を確認し、一安心しました。さあ、あとはマシンのダメージのチェックです。思ったより損傷がひどく、カウル類はもちろん、フロント廻り、マフラー、クラッチまでぼろぼろでした。エンジンオイルも漏れています。用意していたスペアマシンからパーツを移植する大手術がおわるまでに、約50分を要しました。復旧を終えたマシンに再びペアライダーがまたがり、ピットアウトしていきました。皆の心配のなか、予定の周回をこなしていきます。どうやらマシンは大丈夫そうです。ほっとした私は、いよいよやってくる自分の走行のため、革ツナギに身を包みます。ペアライダーがピットに戻ってきました。燃料補給を終え、マシンを受け取ります。(スプーンコーナーから気の遠くなるほどの距離を、炎天下の中、押して帰ってきてくれたペアライダーの気持ちも一緒に受け取って)

鈴鹿8耐(4)

2009.01.14 23:44 BLOG, NEWS

2001年8月5日日曜日、ついに決勝の日がやってきました。
午前11時30分スタートなのですが、それまでの時間、ヘルメットのチェック、マシンのチェック、等々、時間の許す限りの最終作業を行っていました。整備をしていると、以外に落ち着くものです。
ペアライダーとの打ち合わせを終え、相方がスタートライダーをやることになりました。
メインストレートのグリッド場でライダー紹介が始まり、ロッシ、大治郎、芳賀等々、名だたる有名ライダーに声援が飛んでおりました。わがチームは56番グリッドだったので、紹介までは随分時間がかかりました。
70番グリッドまで紹介が終わり、いよいよクルー退去です。
8耐はルマン式スタートなので、ペアライダーがマシンを支え、コース反対側からライダーが走ってきてマシンにまたがりスタートする、というものです。
スタートの秒読みがはじまり、(お客さんが一緒に大声でカウントダウンします)一気に緊張がはしります。
ついにグリーンシグナル。マシンを支えていた私は、走り寄るペアライダーにマシンを託しました。
物凄いエキゾーストノートと共に70台のマシンが一斉に走り出しました。
サーキット全体が熱いムードへ変化しました。場内アナウンスも爆音にかき消され、私は聞き取れませんでした。
ピットに戻り、戦闘モードに入らなければならないため、走ります。灼熱の太陽が容赦なく照りつけていて、こんなに汗をかいたら、皮ツナギが入んないよ、と思ったのをおぼえています。鈴鹿は広いです。
ピットに戻り、モニターを見つめていると、大クラッシュのアナウンス!
西コースのスプーン手前で数台が絡んでの事故みたいです。
いやな予感がはしったのですが、それが的中。ペアライダーが戻ってきません。
ピットをでて、コース脇まで飛び出しました。待てども待てども、戻ってきません。
心臓バクバクです。

鈴鹿8耐(3)

2008.10.02 00:00 BLOG, NEWS

予選が終わり、一息ついたわけですが、翌日の土曜日は、ノービスの祭典といわれる、4耐が行われるため、そちらの応援もあり、忙しさは変わりません。
ただ、2002年から投入されることが決まっていた、4サイクルマシン(211V)の初お披露目が行われ、幸運にもそのけたたましいサウンドをいち早く聞くことになりました。実はその前にアライヘルメットのブースでシールドを交換していただいて帰る途中で鈴鹿についたばかりのミック・ドゥーハンに偶然に遭遇し、着ていたシャツにサインをしてもらったのですが、(誰に会うかわからないので常にマジックを携帯する準備の良さは我ながらすばらしい)なぜミックが来たのかは、けたたましいサウンドで理解することができました。2台の211Vがランデブー走行をしていて、そのライダーはミックと、鎌田選手(開発ライダー)だったのです。音も凄かったのですが、それ以上に東コースのS字の切り返しが異様に軽く見えたのを覚えています。噂では、8耐の予選タイムをうわまっていたとかいないとか。翌年から、ロッシが211Vを駆り、王者の記録を作り上げていったことを思えば、あながちありえたかなと思います。
まあ、それ以外にも2001年の8耐は、話題が多かったと思います。テレビ番組のガチンコ(TOKIO)の取材が連日行われており、レースのファンなのか、TOKIOのファンなのかわからない女の子たちが、そのピットに押し寄せておりました。
いろんな効果で、2001の8耐は、前年を大きく上回る入場者数だったと聞いております。よって良しとしときましょ。
前夜祭が終われば、いよいよ決勝当日を迎えることとなります。

鈴鹿8耐(2)

2008.08.01 22:55 BLOG, NEWS

予選が始まりました。当時のレギュレーションではライダー2人の平均タイムでグリッドがきまっていました。よって、どちらかが速いタイムを出せば予選通過とはいきません。直前に転倒している私は、とにかく転倒しないように用心して少しずつタイムを詰めていく作戦に切り替え、一発を狙うのを自粛しました。結果、ペアライダーに頑張ってもらったこともあり、STクラスでトップ通過できました。全体では後ろのほうですが。
公式結果が夕方に出たときはさすがにうれしかったのを覚えています。ただ休む間もなく、ナイトセッションのプラクティスがはじまります。
初めての夜の走行です。ライトを点灯しているとはいえ、進行方向を照らしてくれるわけではないので、ナイター設備に頼らざるをえません。
ワークスライダーたちは、コースのリズムを掴んでいるのでしょう、ものすごいスピードで抜き去っていきます。リズムを掴めない私は恐る恐るラップを刻んでいました。スプーンコーナーがやたら暗く感じたのを覚えています。昼間の予選、夜の走行練習と忙しい1日が終わりました。
ちょっと頑張った1日でした。

鈴鹿8耐(1)

2008.07.27 00:33 BLOG, NEWS

今年も鈴鹿8耐の季節がやってきました。今年は一段と暑そうです。
観客も大変な暑さとの戦いでしょう。真夏の祭典といわれるのもわかります。
毎年この時期になると、2001年の8耐参戦を思い出します。
チャンスがあれば必ず8耐にでると心に決めていた私は2001年、意を決して参戦を決意し、
期限いっぱいでエントリーしました。テレビでガチンコ8耐番組をやっていて世間の注目もアップしていました。
またその前年転んだロッシが最後の参戦をすると関係者からきいた私は、絶対エントリーせんといかんと思ってしまいました。
(ちょっとミーハーな考えだったかもしれませんが)
出るからには、なんとか予選をクリアして決勝に! そのことで頭がいっぱいでした。
ところが、鈴鹿の走行経験のない私は不安との戦いを強いられることとなり、なんとか可能な限り練習時間を取らなければと必死でした。
結果的に予選までに約3時間くらいの練習しかできませんでした。しかも、1992年以来
サーキット活動を封印していた私が、1999年にワンツーのレースから活動を開始して初となる転倒まで喫してしまいました。
デグナーのつっこみでいきなりのスコールに見舞われ、一瞬の内にはるか遠くへとんでいました。そのときの記憶はとんでいました。
鈴鹿は俺を嫌っているとまで思いました。しかしあきらめきれない自分もいて、公式予選の最中もコース攻略を考えていました。
カワサキの柳川選手や、大西ヒートの大西選手にもアドバイスを受け、試行錯誤していました。
いよいよ、予選です。2回のセッションで決まるルールです。