ドカティ749Rのオーバーホールをやってみたのですが、その時に感じたことをかかせていただきます。
この車両はサーキットをメインに使用(約4000キロ)されているのですが、私が試乗させていただいた感じでは、どうもフロントの動きが渋く、また硬く感じました。おそらくスラッジ等がたまり、減衰力が発揮できず、その結果セッティングを難しくし、イニシャルを掛けすぎているのでは、との推測をたてました。
実際、分解してみると、上澄みはきれいなのですが、カートリッジの下部あたりからは黒いスラッジ混じりのオイルが出てきました。
高級なフォークほど、初期のメンテの重要性をかんじますね。
今回、オイルが漏れていたわけではないので、シールはそのまま使用です。オイルはモチュールファクトリーラインです。
オーバーホール後、使用していただいたのですが、フロントの動きがわかりやすく、車体の姿勢変化を上手く使え、安心感が得られたとのコメントをいただきました。なんといってもドカはコーナーリングが魅力ですから、このコメントは嬉しかったですね。
次は、リアもやらせていただく予定です。
予選が始まりました。当時のレギュレーションではライダー2人の平均タイムでグリッドがきまっていました。よって、どちらかが速いタイムを出せば予選通過とはいきません。直前に転倒している私は、とにかく転倒しないように用心して少しずつタイムを詰めていく作戦に切り替え、一発を狙うのを自粛しました。結果、ペアライダーに頑張ってもらったこともあり、STクラスでトップ通過できました。全体では後ろのほうですが。
公式結果が夕方に出たときはさすがにうれしかったのを覚えています。ただ休む間もなく、ナイトセッションのプラクティスがはじまります。
初めての夜の走行です。ライトを点灯しているとはいえ、進行方向を照らしてくれるわけではないので、ナイター設備に頼らざるをえません。
ワークスライダーたちは、コースのリズムを掴んでいるのでしょう、ものすごいスピードで抜き去っていきます。リズムを掴めない私は恐る恐るラップを刻んでいました。スプーンコーナーがやたら暗く感じたのを覚えています。昼間の予選、夜の走行練習と忙しい1日が終わりました。
ちょっと頑張った1日でした。
今年も鈴鹿8耐の季節がやってきました。今年は一段と暑そうです。
観客も大変な暑さとの戦いでしょう。真夏の祭典といわれるのもわかります。
毎年この時期になると、2001年の8耐参戦を思い出します。
チャンスがあれば必ず8耐にでると心に決めていた私は2001年、意を決して参戦を決意し、
期限いっぱいでエントリーしました。テレビでガチンコ8耐番組をやっていて世間の注目もアップしていました。
またその前年転んだロッシが最後の参戦をすると関係者からきいた私は、絶対エントリーせんといかんと思ってしまいました。
(ちょっとミーハーな考えだったかもしれませんが)
出るからには、なんとか予選をクリアして決勝に! そのことで頭がいっぱいでした。
ところが、鈴鹿の走行経験のない私は不安との戦いを強いられることとなり、なんとか可能な限り練習時間を取らなければと必死でした。
結果的に予選までに約3時間くらいの練習しかできませんでした。しかも、1992年以来
サーキット活動を封印していた私が、1999年にワンツーのレースから活動を開始して初となる転倒まで喫してしまいました。
デグナーのつっこみでいきなりのスコールに見舞われ、一瞬の内にはるか遠くへとんでいました。そのときの記憶はとんでいました。
鈴鹿は俺を嫌っているとまで思いました。しかしあきらめきれない自分もいて、公式予選の最中もコース攻略を考えていました。
カワサキの柳川選手や、大西ヒートの大西選手にもアドバイスを受け、試行錯誤していました。
いよいよ、予選です。2回のセッションで決まるルールです。